金原には、いくつかの「信玄もろこし」の伝承が残っています。写真は金原から津久井城を見たものです。現在トウモロコシ畑になっている場所もありますが、当時はまだ新大陸原産のトウモロコシは伝来していません。モロコシ(タカキビ、コウリャン)のことだと考えられます。以下、3つの伝承を掲載します。
①三増合戦の折り、武田の兵たちは金原のモロコシ畑のとうもろこしの穂を折り、火をつけた。その脇には野積みされていた陸稲を人形に仕立てて人影をつくり津久井城をだました。それ以来金原のモロコシは花が咲くころになると穂が折れた。今でも土地の人は穂先が折れたとうもろこしを見ると、「信玄もろこし」という。
②三増合戦の際に信玄は金原のモロコシに提灯を結びつけて津久井城の内藤勢を脅かした。提灯の重さで首が曲がり、負傷者の血で茎が赤く染まった。以来牛の飼料として作るモロコシ(タカキビ)をシンゲンモロコシという。
③信玄が鉄砲を撃とうとしたときモロコシが邪魔で「コンチクショウ」とにらんだらモロコシはうなだれて首がまがってしまったことからシンゲンモロコシという。
