ここから見える平坦地は「金原」と呼ばれる場所です。江戸時代には「根小屋村」だった地域です。ここには
武田信玄の痕跡がところどころに見られます。根小屋小学校と工場の間を通っている道の延長線は「信玄道」といわれており、武田信玄が1569(永禄12)年、小田原を攻めた帰りにここを通った道だとされています。その時、愛川町の「三増峠(みませとうげ)」というところで追撃してきた北条軍と戦ったのですが、これが戦国時代有数の山岳戦として有名な「三増峠の戦い(三増合戦)」です。武田方の勝利と言われ、両軍の死者は4000人を超えたとされます。ただし、津久井城はその時の戦闘には加わりませんでした。武田方の小幡重貞軍に、「囲い沢」に兵を配置されて牽制されていたようです。
金原地域にはこの時の伝承が多く残されております。上記の「信玄道」をはじめ、「
富士塚」、「
信玄モロコシ」、「六十面」などです。これらの伝承の真偽はともかく、これだけ伝承が残っているということは、当時のこの地域にとって武田信玄の襲来が、いかにインパクトがあったかということが分かります。ちなみに金原以外でも津久井地域には三増合戦がらみの
伝承が残る場所が多くあります。いちど足を運んでみてはいかがでしょうか。