神奈川県立大磯城山公園は旧三井財閥別邸跡と旧吉田茂邸地区を利用した日本情緒あふれる公園です。
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旧吉田茂邸地区

旧吉田茂邸とは

旧吉田茂邸は、明治17年に吉田茂の養父健三が別荘として建てたもので、吉田茂が昭和19年頃から、その生涯を閉じる昭和42年までを過ごした邸宅です。
政界引退後も多くの政治家が「大磯参り」を行い、また、元西独首相アデナウアー氏や、当時の皇太子殿下(今上天皇)と同妃殿下などの国内外の要人が招かれました。吉田茂没後には、大平首相とカーター大統領の日米首脳会談が実施されるなど近代政治の表舞台としても利用されました。
豪壮数奇屋建築風の総檜造りの本邸は、建築家吉田五十八の設計のもと、京都の宮大工により建設されました。日本庭園は、世界的作庭家中島健が設計したもので、本邸周辺部分は、日本庭園研究家の久恒秀治によって造られました。
吉田茂がよく散歩をしていたといわれる庭は、心字池や築山のある日本庭園、松林、バラ園、サンルームがあり、その日本庭園にはあまり用いられないカナリーヤシが植えられるなど、海外赴任生活の長かった吉田茂の嗜好の多様性、様式にとらわれない人間性が色濃く反映された庭園となっています。
庭園
兜門 ■兜門
サンフランシスコ講和条約締結を記念して建てられた門で、別名「講和条約門」とも言われています。軒先に曲線状の切り欠きがあり、兜の形に似ていることから「兜門」とも呼ばれます。京都の裏千家の兜門と同じ製作者を京都から呼び寄せて造られ、昭和29年に完成しました。屋根は「檜皮葺き」という、伝統的技法が用いられており、焼失を免れた内門は貴重な建築物です。
日本庭園 ■日本庭園
昭和36年頃に完成した日本庭園は、中心となる心字池を邸宅の正面に配置した、池泉回遊式の庭園です。庭園設計者である中島健は、数奇屋建築の本邸との調和や花を愛した吉田茂の嗜好をふまえ、さまざまな草花やツツジ類、ウメなどを多く取り入れ、色彩豊かな庭造りをおこなったと考えられます。
七賢堂 ■七賢堂
元々、明治36年に伊藤博文が、明治維新の元勲のうちの岩倉具視・大久保利通・三条実美・木戸孝允の4人を祀った四賢堂を自身の邸宅「滄浪閣」に建てたものでした。伊藤博文の死後、婦人により伊藤博文を加えた5人が祀られ、「五賢堂」となりました。昭和35年に吉田茂邸に移設され、昭和37年に吉田茂が西園寺公望を合祀し、吉田茂の死後、昭和43年に佐藤栄作の名によって吉田茂が合祀され、「七賢堂」となりました。
兜門やサンルームとともに、焼失を免れ、旧吉田茂邸の歴史を感じさせる貴重な建築物です。
正面の扁額「七賢堂」の文字は、佐藤栄作元首相が書いたものです。
吉田茂銅像 ■吉田茂銅像
昭和58年に「吉田茂、澤田美喜両先生顕彰建立委員会」によって建立されました。日米講和条約締結の地、サンフランシスコと首都ワシントンの方角に顔を向けているといわれています。
銅像付近からは眺望が良く、富士山、伊豆半島、相模湾、房総半島などが一望できます。

旧吉田茂邸地区公園整備事業の背景と経緯

相模湾沿岸地域一帯は、明治期から別荘地・保養地を形成し、首都圏で活躍する政財界人や文化人が滞在、交流する地域として発達してきました。特に大磯中心部一帯は、旧吉田邸をはじめとして、大規模でかつ著名人が構えた住宅・庭園が連なっています。
旧吉田茂邸は、吉田茂の没後、西武鉄道株式会社へ売却され、大磯プリンスホテルの別館として利用されていました。平成16年頃より地元を中心に旧吉田茂邸の保存の機運が高まり、神奈川県や大磯により近代政治史の歴史文化遺産として保全・活用が検討され、隣接する「県立大磯城山公園の拡大区域」として、県が整備する方向性が定められました。しかし、その後の計画検討の最中、平成21年3月、本邸が火災で焼失してしまいましたが、消失を免れた日本庭園や歴史的資源(兜門・七賢堂など)、そして大磯丘陵に連なる貴重な緑地を保存活用するため、同公園の拡大区域とすることが再確認され、平成21年7月には都市計画の位置付けがなされました。
その後、「旧吉田茂邸地区」の事業に着手し、県が公園整備を行い、旧吉田茂邸は大磯町が町有施設として再建することとなりました。

吉田茂
 吉田茂(明治11年〜昭和42年)は、戦前に外務官僚として諸外国での領事、書記官、大使などを歴任し、戦後は通算5期(6年2ヶ月)にわたって内閣総理大臣を務めた戦後の代表的な政治家です。
 この間、昭和26年には、サンフランシスコ講和条約の締結を実現し、日本の国際社会への復帰を果たすなど、戦後復興を成し遂げ、社会の在り方を方向付ける役割を担ったと言われています。
 また、吉田茂は、池田勇人や佐藤栄作など、多くの後進を育ててきたことでも知られ、本邸は彼ら「吉田門下生」がよく訪れていた場所でもあります。
中島健
 中島健(大正3年〜平成12年)は、吉田茂をはじめ、田中角栄、河野一郎など政財界の要人の邸宅の庭を設計施工した世界的な作庭家です。吉田五十八との協働で知られる日本芸術院会館日本庭園(昭和32年)と玉堂美術館庭園(昭和37年)、オーストラリア・カウラ日本庭園などを手がけています。
 草花をうまく使い、西洋の水彩画のような色彩豊かな、シンプルモダンな日本庭園づくりが特徴で、造園界の数々の表彰だけでなく、昭和59年には外務大臣から造園を通じて諸外国と相互理解を深めたとして表彰され、昭和62年に勲五等双光旭日章を受けました。


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